香川の教育を語る座談会

12月19日(火)14;00~16:00香川県教育会館5階において、「香川の教育を語る座談会」を開催した。
香川大学助教授・阪根健二氏をコーディネーターとして、香川県中小企業家同友会代表理事・川北哲氏、香川県PTA連絡協議会副会長・児玉令江子氏、香川県小中学校管理職員協議会会長・松井輝善氏、紙谷委員長の4名が出席して行われた。
人材育成をテーマにして、保護者代表、企業家代表の方から、以下の2点を中心に話し合った。

子どもたちにどのようなことを期待するのか
職場の活性化を図るためにどのようなことが必要か

大変貴重な意見をいただいた。

座談会の詳細は、こちらでご覧ください。

香川の教育を語る座談会議事録

紙谷
批判も含めて教育は注目されている。そうした中で、給与制度において大きな変更がある。教員の評価と連動してくる。保護者の立場としてどうか、民間では査定昇給が反映されているが、企業から見たらどうか。意見をいただきたい。本日の主たるテーマは人材育成。子供たちをどのように育てたいのか。もう一つは、職場の活性化。いかにやりがいのある職場を作るか。しっかりお話しいただいて、これからそうしたことをヒントとして学校運営に生かしていきたい。また、枠組み作りを行政側に要望したい。

阪根
雑感を含めて、自己紹介をしてほしい。

児玉
より現場に近いところにいるので、PTA活動をやってきた。いろいろな問題がある。去年は学力低下、今年はいじめ問題と、毎年新しい課題が出てくる。それに対して学校と協議していくか、保護者の意識を高めるか。昨年は、不審者から守ろう、今年は自分の子を自分で守ろうと変わってきた。生きていくための力をつける、保護者・生徒みんなが一緒に向いていけるようにしたい。よかったことは、学校と保護者の間が狭まってきたこと。問題がたくさん出てきたからこそ、同じ方向を向くことが出来たと思う。学校・家庭・地域に企業をたしたい。小学校になって急に問題がでてくるわけではない。幼児期から問題の芽が出てくるので、社会や企業からの協力が必要になる。そうすることで子供たちの情操教育や豊かな心を育てることになり、今の問題が解決していくと思う。昔は、PTAといえば学校に文句を言うというイメージがあるが、今は学校と一緒の立場で話が出来ている。10年前は、学校に言っても聞いてくれないなど、学校と家庭がなかなかかみあわなかった。今は、うまく行き始めた時期だと言える。

川北
中小企業家同友会は、全国3万7千社ほどある。3つの目的がある。「よい会社、よい経営者、よい経営環境を作ること。」根幹は人間を育てること。同友会は、経営者の学びの場である。自分で会社を創立したときに、人材育成が課題と感じた。なかなか人が育たない。単に仕事をして給料をもらうことだけではない。自分の人生観をいいものにしてもらうことが大切だと感じる。

阪根
中小企業家の定義は?

川北
中小企業家と家をつけている。個人商店・個人経営も入れている。組織的経営をめざしている。

阪根
人間的な結びつきが出てきやすいのか。

川北
そうしてしまうと組織の中になれ合いが出てくる。一概にはいいとは言えない。毎日の仕事が楽しいと思える職場だけではダメで、その上に業績を出さなければならない。
大手企業が出てきて、周りのある店が締めたいと思って急に締めていいのか。 長年のお客さんに言わなくていいのか。地域とともに歩むということに関して言えばおかしいのではないか。自社の経営理念に沿ったものでなければならない。ものさしから外れてはいけない。

阪根
学校も昔は「まあまあ」のところがあった。これから教育はどうなるのか?

松井
校長9年目。最初の頃と今は変わってきた。昔のように、学校独自の考えだけで進めることが難しくなった。子どもたちの心を育てることが必要。特にコミュニケーション能力をつけることが大切。学力、主体的に動くこと、友だちとの関係など、今は慌ただしいが、昔はあまり強く言ってなかった。管理しきれなくなったと感じるところがある。今、給与がカットされ、元気がなくなってきている。

阪根
教育界がぬるま湯だったから、民間の考えを取り入れようとしているが。

松井
3・6か月、1年と民間で働く意義はある。視野が広がる。教育現場では味わえないと思う。

紙谷
管理職であるなしにかかわらず、マスコミが先導して、学校教育に対する不振が大きい。教育再生も何かが失われているからである。学校はいろいろなものを求められている。ゆとり教育で学力が落ちるから、文科省は学びのすすめを出す。学校に対する不振、裏を返せば期待がある。教員不祥事が取り上げられ、私たちが言えば保身ととられてしまう。文科省の調査に比べて、香教連の調査では勤務時間が長い結果が出ている。多忙感を感じている先生が多い。「学校の権威とは」というシンポジウムがあった。条件は厳しくなるが、我々が元気を出さないと子どもは元気になれない。給与が下がったからやる気がなくなるのでは専門職としておかしいと考えている。

阪根
学校に望みたいことを出して頂きたい。

児玉
学校に望むことはたくさんあるが、先生の首がしまってしまう。主人が学校の先生なので、文科省や保護者に言いたいことがたくさんある。学校の先生であるがために、子どもの入学式や卒業式に出たことがない。部活があるので休みもない。会社につとめている人はいいなあと思ったことがある。
校長に言うのは、学校の先生は先生の道だけしか知らないので、広報活動が下手である。小学校は連絡帳があるのに、中学校はない。小学校は見回り隊がいるのに、中学校はない。子どもの成長であり、取り組みが違うだけであるということを保護者に伝えないといけない。このようなことを保護者にきちんと説明しないといけなくなってきた。広報活動をしっかりして保護者に理解をしてもらうことに努めてきた。この3年間でだいぶ苦情がなくなってきた。例えば、「放課後残された」「学校側が勉強がしんどい子に対して対応してくれている」この2つでは感じ方が全然変わってしまう。PRの仕方を学ぶ必要がある。学校の熱意を伝えてもらいたい。底辺の学力は上げていただきたい。それと学校だけでしかできない力、例えば友だちを思う力、がまんする力などをつけていただきたい。家庭で付けてもらいたい力を学校でつけてほしいという間違った保護者がいる。家庭で付けてほしい力の方が今大切であると思う。

阪根
開かれた学校づくりが大切であろう。企業はどうか?

川北
子どもの授業参観に一度も出たことがない。今回授業参観に出ないと子どもに恨まれると思い、しぶしぶ行った。仕事が忙しいことで逃げていたかもしれない。この会社を作ったとき、周辺環境が変わり、土地の有効活用を考えた。土地を貸そうと思ったがやめた。楽して得た金はダメだと思った。結果として、子どもにいい影響を及ぼすことが出来たと思う。子どもの教育は、教えるだけでなく、後ろ姿でも教えているなあとそのとき感じた。企業に入ってきたら、この企業にいてよかった、と感じることが大切。年1回幸せアンケートをとっている。我が社に入社してよかったこと・つらかったことは何かを聞いている。8割は、お金でなく、お客さんにほめられた姿がよかったこと。つらかったことは、お客さんだけでなく従業員間の人間関係。企業であろうが、学校現場でも同じことが言える。

阪根
人と人との関わりだから、先生同士・子ども・保護者との人間関係である。教員が保護者とうまくいかないのは人間関係のこと。教育センターの資料で、保護者との関わりの難しさを感じるのは、小学校は50%台、中学校40%、高校は30%台と学年が上がるに従って減っていく。
仕事をする楽しみがまず第一。お金は次だが、今問題にしているのは、理不尽な給与カットだからである。

松井
会社も学校も同じ。昔は先生の言うことを聞いていればいい、という考え方だった。子どもだけでなく、家族の姿を感じながら教員は仕事をしたり、子どもに関わったりしなければならない。子どもたちが一生懸命やっていれば、プラスの効果が周りに伝わっていく。管理職は、先生方が楽しく仕事ができるにはどうすればいいかを考えなければならない。

川北
僕らが子どものころ、学校の先生は天職というプライドをもっていたと思う。教員側の立場、子どもの将来を考える必要があるのではないか。親の道徳観がなくなってきているのは問題。基本的なしつけを親として教えていくこと。次の3つ「あいさつ、椅子の片づけ、靴並べ」しっかり家庭でしつけるべき。プライベートの時からできていないと、学校や会社ではできない。企業のトップが率先していないとこれもできない。

阪根
天職、聖職、労働者。考え方はいろいろある。教師は天職であるという意識をもっていたら子どもは変わる。子どもの喜ぶ顔を見るとがんばれる。なんで教員は忙しい?という保護者の声がある。

紙谷
多忙と多忙感とは違う。ゆっくりしたいという思いでなく、子どもたちと接する時間がほしい。書類を作るのに時間をとられているのが現状。中学校では部活指導が主になっている。外国では、地域スポーツでなされている場合もある。また、教員は授業だけしかしていない国もある。学校でこれをしてほしいという要望と報告文書が問題。また、仕事の偏りが問題。若い頃に言われた言葉がある。「仕事は忙しい人に頼め」忙しくない人に頼んでも仕事が出来ない。「できないと言うな」頼まれた仕事は断らないようにしている。
子どもに直接関わる部分以外が多い。行政だけに求めるだけでなく、学校内でも改善できるはず。経験豊富な先生がいるうちに経営という面から考える必要がある。今、民間人校長が経営という視点で期待されている。その民間人校長から「キャリアが生かされていない」という話を聞いた。発想の転換が必要。新しいこと、例えばいじめ問題の取組、不審者対策、学力向上などをしようとすると、今までのことの上積みで行うことになる。しなくていいものがなくならない。香川の先生方は、全部取り組もうとする。そうすると先生がパンクしてしまう。

児玉
保護者は、「夏休みが多くていいね、アメリカと日本の給料を比べて日本は高いね。」という。しかし、アメリカでは授業だけしかしていない。帰って塾をしている。先生もし、セラピストもし、保護者もしないといけない日本の先生は多忙。今の倍に給料を上げてもおかしくない。ここまで説明すると保護者は納得してくれるのが現状。マスコミは数字だけを比べる悪いところがある。将来的に学校の先生になりたいという子どもがたくさん出てくるべき。子どもたちの大好きな先生は、一緒に遊んでくれる、一緒に話をしてくれる、分かるまで教えてくれる先生。それに対して、保護者は、子どもとは必ず一致していない。うまく保護者と対応する先生が保護者にとっていい先生という評価になる。
教育改革されているが、評価制度は私の思わない方向に向いていると感じる。うまく渡っていける先生が良い先生で、生徒とはいずり回っている先生が悪い先生になってしまう危険性がある。
学校の先生が生き生きとした世の中にならないといけないが、先生方は疲れている。校長先生も調査ばかりだと言っていた。私は音楽療法をしているが、学校の先生の依頼がここ3、4年多くなった。しんどくなって学校に行けなくなったという先生が多い。一所懸命しようと思うが空回りしている先生がいる。しかし、マスコミや一般は、イコール不適格教員と考えることが多い。先生を盛り上げようという体制になぜならないのか。生徒からの評価も必要。やる気をなくすような給与も問題。がんばっただけの成果が見えるような教育の現場にしないといけないと思う。

阪根
評価をどう考えるか。

川北
人間が人間を評価するほど難しいことはない。管理職が見る目と、従業員が見る目は違う。自己評価をすると、「うそやろ」という評価をすることもある。 100名ぐらいだったら見ることはできるが、現場とずれがないか確かめる必要がある。自己評価(にこにこしているか、きびきびしているか、会社への貢献度)をして、あと管理者のコメントを入れるようにしている。謙虚に評価する場合もあるが、管理職が評価をあげなければならない場合もある。人間好き嫌いがあるから、それも入ってしまう。即業績が出る場合は良いが、事務的なものは出にくい。教員も同じ。どのように評価するか?実際、数字では出せない。数字だけ求めてしまうと、違うものが出てしまう。数値目標だけでいくと、人間関係が崩れてしまう。

松井
現場でやろうとしている。10月の人事委員会勧告で出ている。果たして教育現場に持ち込んで、人間関係がぎくしゃくしないのか。

川北
どんな手法であっても売り上げを伸ばしたらいい、という考えではいけない。隣の人間を踏みつぶしてまでやろうとしてしまい、とんでもないことになってしまう。大手企業は止めてしまった。日本という生活文化にはなじまない。欧米文化とは違う。

児玉
塾との兼ね合いがある。この考えを導入すると、○○大学、○○高校に入学させた人数という実績だけが競われる。今の文科省、教育長は行政出身。教育と道路を一緒に考えているのではないか。そんな考えではいけないと教育長に言ってきた。極論だが、そうなってしまう。

阪根
今、格差社会、競争社会と言われているものが、子どもの社会の中に入ってきていて、まずいことになっている。大人がきちんと範を示さないといけない。範の示し方が見えない状態。公務員は何をしようが通ってきた。そのつけが若い公務員がはらわないといけない。後の者が払わないといけないのはおかしい。 学校の環境だけでなく、意識をしっかり持つ必要がある。

川北
会社の理念があって、経営方針があるはず。全員の目標も入れている。経営指針書があると定期的に見る。こうしないとお互いの信頼関係が得られない。 私自身の目標も入れている。大胆に変えていかないと、古い物を引きずって変えられなくなる。1つ1つ改善することが必要。まず何をしないとよくならないか考えていく。若い人ができなくなってしまう。

児玉
古い成功例を引きずってしまいがち。PTAは、今までのノートを「悪魔のノート」と呼んでいる。会長が替わると、去年までのノートは捨てるようにしている。会長のやりたいようなPTA活動をしていくようにしている。

川北
企業は、古い成功体験をひきずっていると、新しいことは何にもできない。若い人ができなくなってしまう。あまりにも真剣に深く考えすぎて物事が全然動かない。机上論で終わってしまう。50%の成功ならしない。40%失敗するとしても、60%成功すると思うなら、リスクを背負ってでもやらせる。誰かが責任を負う。99%成功する事業はどこにもない。学校も同じだと思う。誰かがリスクを負わないとできない。学校改革はできない。ここは似ていると思う。改革は、やり方は変えても、サポートをきちんとしないと人間が壊れていく。本来の人間の幸せは何なのか。一部上場企業に就職することは幸せだと思わない。大企業は部署だけしていればいい。中小企業は何でもやらせる。社長にも会える。やらせるがゆえに、独立することもできる。そこに魅力があると思う。大企業ではできないし、公務員に求めなくなっている要素だと思う。自分の人生をおおかしたいという考えであろう。

阪根
これから子どもたちをどう育成していくか、様々な体験をさせないといけない。社長自らが自己開示をしていく、そこから社員に表していく。評価もそのように提案していく必要がある。多忙感は主張していくが、我々自身がもう一歩踏み出していこうというとすることが大切である。

紙谷
企業のトップの方から意見をいただいてよかった。企業のトップの背中は常に見られているんだな、。学校も先生の背中を見られていることを改めて感じた。保護者側から、教師に対して応援していただいたことは非常に元気が出た。評価制度と給与をリンクさせることは悪いとは思わない。評価制度がきちんと確立されていれば問題ない。本来汗を流した人がそれにふさわしい処遇を受けることは誰も異論ないと思う。全員一律は今の時代認められない。評価をどうするかしっかり制度を作る人に検討していただきたい。

松井
教員でも、子どもと一緒に汗を流してはいるが校務分掌の仕事が滞る。逆に、学力をしっかり伸ばしているが、部活は全然しない。これをどのように評価するのかを考えると、評価は本当に難しい。 授業ができることは当然。プラス子どもたちのためにしっかり頑張っている人の給与を上げてあげたい、これは誰も分かること。分からないところを付けるのは難しい。この点を主張していきたい。一人一人の先生にきちんと伝えないといけない。

川北
人間が集まると必ず問題が出る。判断基準を作るために経営理念を作っている。原理原則とは当たり前のこと。当たり前のことが当たり前でなくなってきている。人間として正しいことを求めていくこと。自分たちの目の前にある課題を避けて通らないこと。改善していかないと企業は良くならない。どこかで不平不満が生まれてきてしまう。人間双方が信頼できるまじめな会社として認める雰囲気作りをしていかないといけない。経営理念の中に数字は掲げていない。数字を求めても、人間力はつかない。夢を追い求めている人間と、漠然と生活している人間とでは歴然と差が出る。常に可能性を求めて話し合い、できるものには支援していく。この土壌を作っていかないと、評価できない。無理矢理評価しようとすると、今よりも悪い状況になってしまう。教職員と保護者の間に今以上に問題が出てくると思う。携帯電話のことなど、先生方がそこまでかかわらないといけなくなってしまっていることを聞いた。本来の職務以外の仕事が多くなったと感じる。いずれにせよ、人間と人間とのかかわりだから、対話を大事にしないと違う物が生まれてしまう危惧を感じる。

児玉
いろいろ講演しているが、学校側からは人気者。学校側が言えないことを保護者に言うから。昔は、学校の先生が保護者に言っていた。今は、そんなことは とんでもないと言われる。家庭でするべきことをしっかりしましょう、と言っているだけ。いろいろな事件があっても、謝っているのは学校側だけで、その保護者はどうなってるのと言いたい。自転車の前輪・後輪が保護者と学校で、同じ大きさで、同じ形で、同じ方向に向いていないと、上に乗っている子どもはしっかり自転車はこげないこととよく言う。学力低下の問題は、学校だけでなく、家庭でもあいさつして、ご飯をしっかり食べさせて送り出して送り出せば、学校で落ち着いて勉強できる。それが今はそうでない。学校だけで学力をつけてほしいなんて無理。学校では社会性をつけていただいて、家庭で悩みや先生の話などを聞く。子どもと一緒に頑張ってくれている先生を応援したい。学校のことを面白おかしく話ができるような活力ある現場であってほしいし、先生も元気であってほしい。今頑張らないといけないのは、保護者、学校、地域、企業が子どもたちを将来に向けて育てていくこと。PTAでも言うのだが、子どもが100点とれば「すごかったね」と言う後に「みんな100点やったんと違うん」と言う子育てはダメ。素直に「すごかったね」と言えるようにしたい。

阪根
今、レオマの集客人数が減っているのをどうするか、大学生たちに考えさせている。どうしたら人が集まるか、団体をどう誘致するかなど意見が出た。連休にはキャンドルナイトという企画をした。また、学校へ校外学習を企画してもらいたいために、プログラムを組む。そして、レオマの重役に話をする。教員になるからこそ、このような経験をさせたい。大学は、今までこのようなことをしなさすぎたのではないか。「出口理論」の理念を具現化しているだけ。人とのつきあい、理念という柱をしっかりすることであることを改めて考えた。